駿府城(すんぷじょう)は、静岡県静岡市葵区に置かれた日本の城跡で、現在城址公園として整備されています。
徳川家康が幼少時代の12年間と、家康公のご領国となって天正期の駿府城を築城して支配の拠点に支配をした4年間、そして晩年の10年間という長い間を過ごした駿府城。
徳川家康とゆかりのある駿府城公園の見どころについてご紹介します!
駿府城公園は徳川家康とゆかりがある!見どころは?
東御門・巽櫓(ひがしごもん・たつみやぐら)
東御門は1996年(平成8年)に日本古来の伝統工法にのっとって復元され、資料館として公開されました。
また、1989年(平成元年)に復元された巽櫓は、全国にある城の櫓建築でもほかに例の少ないL字型の平面をもち、駿府城の櫓の中では防御に優れた櫓でした。
両館内では、駿府城公園内より発掘された資料の展示や徳川家康が幼少期の人質時代に太原雪斎から教えを受けたとされる、臨済寺の部屋を復元した「竹千代手習いの間」などをご覧いただくことが出来ます。
東御門(ひがしごもん)
東御門は、駿府城二の丸の東に位置する主要な出入り口でした。 この門は二ノ丸堀 (中堀) に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、南および西の多聞櫓で構成される桝形虎口です。
要所に石落とし、鉄砲狭間、矢狭間などを持つ堅固な守りの実践的な門で、戦国時代の面影を残しています。
慶長年間に築かれた東御門は寛永12年(1635) に天守、本丸御 殿、巽櫓などと共に焼失し、寛永15年(1638)に再建されました。
現在の建物は、寛永年間再建時の姿を目指し、日本の伝統的な 一造工法によって平成8年(1996)に復元したものです。
巽櫓(たつみやぐら)
巽櫓は、 駿府城二ノ丸の東南角にもうけられた二重三階の隅櫓で、 十二支であらわした巽 (辰巳)の方角に位置することから 「巽櫓」と呼ばれました。 駿府城には二ノ丸西南の角に「坤(未申櫓)」もありました。
櫓は戦闘時には戦闘の拠点となり、 望楼、敵への攻撃、武器の保管などの役目をもっていました。
焼失後、寛永15年(1638) に再建された巽櫓は幕末の安政地震によって全壊してしまったと考えられています。現在の建物は 平成元年(1989)に復元され、全国の城の櫓建築でも例の少ないL字型の平面をもっています。
坤櫓(ひつじさるやぐら)
二ノ丸坤櫓(にのまるひつじさるやぐら)
江戸時代には、方位に干支を用いて北を 「子」として時計周りに割り当 てていました。 坤 (ひつじさる) 櫓は城の中心からみて南西の方角にあるためそのように呼ばれています。
櫓は矢倉 (蔵) とも書かれ、 武器庫や戦 の際の物見の役割を持つ重要な建物でした。 そのため、 城の四隅や御 門周辺に設けられています。
駿府城は、幾度となく火災や地震により、建物の建て替えが行われまし た。
坤櫓も江戸時代中期に修築工事が行われましたが、安政地震 (1854 年)後の状況を示す「駿府城絵図」 (個人蔵) によれば建物を再建した様子は見られず、平成に入り復元をするまで建物は存在していませんでした。
復元に当たっては、伝統的な木造建築工法を用いて可能な限り忠実に復元作業を行いました。(この復元作業の具体的な様子は、「手解きの間」の大画面映像で見ることができます)。
紅葉山庭園(もみじやまていえん)
歴史的背景を活かした紅葉山庭園では、城郭の大名庭園を思わせるようなさまざまな表情を味わうことができます。
春は桜、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は椿など四季折々の花々を眺めながら立礼席でお茶を楽しむのはいかがでしょうか。
晩年の家康公
「大御所」として駿府に移ってきた頃の家康の姿を表した銅像です。家康は晩年の65歳から亡くなる75歳までの約10年間を駿府で過ごしました。
家康公手植のミカン
鎌倉時代に中国から渡来した紀州ミカン(コミカン)の一種でホンミカンとも呼ばれており、静岡地方のミカンの起源を知るうえで、貴重なもので、県指定天然記念物となっています。
天守台発掘調査
発掘調査により、江戸城天守閣を抜いて、日本一大きい駿府城跡天守台の発掘調査を公開中!迫力ある天守台や調査の様子を毎日見学することができます。
駿府城公園内の有料施設の料金
駿府城公園内の3つの施設(東御門・巽櫓、坤櫓、紅葉山庭園)で、駿府城の歴史などを楽しめます。
入場料※静岡市在住の70歳以上であることが確認できるものを提示された方は入場料が無料
共通券
駿府城公園全施設(東御門・巽櫓、坤櫓、紅葉山庭園)共通券
〜3施設が堪能できるお得な共通券です〜
大人 ¥360(団体20名様以上 ¥280)
小人 ¥120(団体20名様以上 ¥90)【小・中学生】
各施設入場券
大人 東御門・巽櫓¥200(団体20名様以上 ¥160)
大人 坤櫓¥100(団体20名様以上 ¥80)
大人 紅葉山庭園¥150(団体20名様以上 ¥120)
小人 各施設¥50(団体20名様以上 ¥40)【小・中学生】
駿府城はなぜなくなった?
明治時代に廃城になるまで、火事や地震で被災する度に天守台や他の建物は再建されたのに対し、寛永12(1635)年以降は、天守が再建されることはありませんでした。これは徳川家による江戸幕府の体制が盤石なものとなり、戦や権威のシンボルであった天守が必要ない、天下泰平の世になったことを示すと考えられています。
現在の駿府城
駿府城には三重の堀がありましたが、市街地化などによって埋め立てられ、幅が狭くなりました。
現在では二ノ丸堀(中堀)より内側が駿府城公園となっており、宝暦年間(1751~1763)の修復記録に基づいて、東御門や巽櫓などが復元・公開されています。
駿府城公園の基本情報
開館時間 午前9時~午後4時30分
(※入館は午後4時までとなります)
休館日 月曜日(祝日、休日にあたる場合は休館振替なしで営業)
年末年始(12月29日~1月3日)
駿府城のアクセス
◆電車でお越しの方◆
●JR静岡駅から徒歩約15分
●静岡鉄道新静岡駅から徒歩約12分
◆クルマでお越しの方◆
●東名高速 静岡I.Cより車で約17分
●新東名高速 新静岡I.Cより車で約18分
駿府城公園の見どころ まとめ
駿府城(すんぷじょう)は、静岡県静岡市葵区に置かれた日本の城跡で、現在城址公園として整備されています。
徳川家康が幼少時代の12年間と、家康公のご領国となって天正期の駿府城を築城し、支配の拠点にした4年間、そして晩年の10年間という長い間を過ごした駿府城。
徳川家康とゆかりのある駿府城公園の見どころについてご紹介しました!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
お名前.com↓↓↓あわせて読みたい↓↓↓